悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 17

那須塩原・23鍋掛宿





那須塩原・鍋掛宿

鍋掛十文字



旧奥州街道23番目の宿場、鍋掛宿の入口である

この交差点を鍋掛十文字と言う
この辺は十文字と言う例が多いようだ

旧奥州街道沿いにも練貫十文字、寺子十文字等がある


(栃木県那須塩原市鍋掛)


清川地蔵尊





鍋掛十文字を渡り、左の坂の上に清川地蔵尊がある

延宝7(1679年)に建立されたもので
子育て地蔵として、近辺の女性に信仰されている

毎年4月24日の祭礼には地元の女性が集まり
清川地蔵だけに唱える念仏が行われる様だ


(栃木県那須塩原市鍋掛)


23鍋掛宿



鍋掛宿の町並みである
往時の面影は無いが、歩道と車道の境が
ガードレールでは無く、馬つなぎ石の様な石が並んでいた

この辺の左側に、かつては本陣(菊地家)があったというが遺構は無かった
本陣1、脇本陣1、旅籠23、総戸数100余戸であった様だ

鍋掛宿は、奥州街道の難所の一つと言われた那珂川の手前にあり
、川留めの時など、大いに賑わったという
那珂川は、幕府にとって天然の防御ラインで、ここ鍋掛は天領であった


(栃木県那須塩原市鍋掛)



加茂神社、初市神、芭蕉句碑





加茂神社境内左に芭蕉句碑(下写真左の石碑)があった

文化5年(1808)年に地元の俳人菊地某他数名によって建てられたもので
「野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす ばせを」
と刻まれていた

那須塩原の野間辺りで詠まれたものであろうか

昔の那須野の狩を思い起こし、武将になったつもりで
いばって命令してみようかという心境を詠んだ句の様だ


(栃木県那須塩原市鍋掛)


正観寺



正観寺の山門の後ろに、見事な枝垂れ桜の木がある
樹齢250年、樹高15mとのこと

明治6年、この境内に鍋掛小学校の前身である日新館が建てらたが
今は、現在地に移転している

写真手前は火の見櫓に、蔵造り風の鍋掛消防小屋である


(栃木県那須塩原市鍋掛)


鍋掛出口



鍋掛宿の出口付近の枡形である
旧街道は右側で、この先で枡形になっている

左側は那珂川に架かるアーチ型の昭明橋への道である

江戸時代初期、那珂川は徒歩渡りで
水が多いときだけ船渡しであった
江戸時代後期になると、舟橋や土橋となっていた様だ


(栃木県那須塩原市鍋掛)
0904/0906


前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離 0.73km











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他