那須塩原
石田坂
余笹川の寺子橋を渡ると石田坂の集落となる
ここの電柱に、平成10年8月の増水時の水位が赤い線で表示されてあった
やや地形が高くなっているここで、此の高さであるから
左前方の家々は完全に水没であった
(栃木県那須塩原市石田坂)
石田坂
石田坂の集落を抜けると、上り坂で、旧道は現在の県道72号線に合流する
右側が開け実に見晴らしの良いところであった
遠く八溝山地が横たわっている
手前はSUZUKI HOLSTEIN FARMと書かれた看板が立っている
ホルスタインと言えば乳牛として知られた牛だ
牛の飼養所(酪農場)であろう
そういえば、那須塩原市は生乳産出額は本州第一(全国で第4位)で
平成18年度で108億2千万円とのことであった
全国では第1位から第3位までが北海道となっている
(栃木県那須塩原市石田坂)
農業構造改善事業記念碑
さらに坂を上ると左手に農業構造改善事業記念碑がある(上写真中央)
昭和44年に建立されて石碑で、碑文によると余笹川の水の利用法を改善して
農業生産基盤の整備を行ったようだ
農業基本法に基づき、国の補助により
各市町村の農業構造改善事業促進対策の一環として実施されたようだ
右手には広大な田圃が広がっていた
(栃木県那須塩原市石田坂)
豊岡集落
前方に豊岡の集落が見えてきた
この豊岡が那須塩原市北端で、次は那須町となる
下の写真は街道沿いの小公園である
「緑豊かな郷づくり 豊岡長芝地区環境保全協議会」と標示されていた
(栃木県那須塩原市豊岡)
芭蕉温泉ランド入口
豊岡の集落の外れに「芭蕉温泉ランド入口」の大きな看板
ここを右折すると、豊岡芭蕉温泉ランドがある
温泉権付き別荘地で、全800区画と大型の別荘地となっている
また、温泉付き貸し別荘もあるようだ
なお、芭蕉温泉は国内では珍しいアルカリ単純泉で
肌がつるつるすることから美人の湯と呼ばれている
(栃木県那須塩原市豊岡)
那須町
那須塩原市・那須町境
豊岡から坂を上りきったところが、那須町と那須塩原市の境界となっている
山沿いにある大きな看板には
「ようこそ 芦野の里へ
歴史と奥の細道のまち
おくの細道 遊行柳
芦野城跡 御殿山
日本三大聖天 芦野聖天
那須町商工会芦野支部、那須町商工会」
と記されてあった
那須町は那須高原を占める町だ
昭和29年、芦野町と伊王野、那須の2村が合併して出来た町である
北西部に那須岳が聳え、大部分が山地となっている
南流する余笹川沿いに平地があり、米作と野菜と酪農の町となっている
なお、伊王野は古代の東山道の駅のあったところで
芦野は近世の奥州道中の宿場であった
古くからから栄えた地域でもある
(栃木県那須町黒川)
黒川集落
だらだら坂を下ると、前方に黒川の集落が見えてきた
那須町に入って最初の集落である
黒川の傍にある村で、かつては黒川端村と言われ
戸数が4戸の寺子村の枝村であった
この黒川端の中を奥州街道が通っており
旅人を山乗駕籠に乗せて川を渡す川越場があった
川が増水して川留めがあった時に泊まれる家もあったと言う
旧街道は、この先の黒川の土手で消滅している
(栃木県那須町黒川)
黒川
黒川の土手に出る
ここで土手を上流側(左側)に行き、前方の黒川橋を渡る
黒川は那須岳(1915m)と赤面山(1701m)に源を発し
那須町沼の井で余笹川に合流している川だ
平成10年の洪水で、余笹川と共に、ここも大きな被害を受けたところである
現在は災害復旧工事が行われ、その後水害は起きていないとのこと
この川も、古くから水害には悩まされていたようだ
黒川に伝わる伝承で「天ん崖(あまんがけ)」と言うのがある
この橋をより1km程上流に
「天ん崖」は、「天ヶ岩」とも呼ばれ高さ10数mもある巨大な岩がある
平成10年の水害の後、川筋を変える工事を行った為
今は岩の傍を川は流れていないが
以前は、川の流れがこの岩にぶっつかり深い渕となって
人が近づけなかった様だ
天ん崖は大雨の時、そこから竜が天に舞い登って行ったと伝承されている様だ
洪水の時、中山道(木曽)などで伝えられている蛇抜(じゃぬけ)と
同じ様な現象があったらしい
(道の傍の山の一部が大雨等で土石流となって崩れ
川や道を遮ってしまう現象)
下の写真は橋の袂にある石柱であるが
災害の慰霊碑であろうか風化して読めなかった
(栃木県那須町黒川)
黒川集落遠望
黒川橋を渡ると登り坂となる
写真は、対岸の坂の途中より黒川集落を見下ろした写真である
土手に階段のあるところが、旧街道の道筋で、昔の川越場のあったところだ
写真右手が現在の黒川橋である(上写真)
ここからはヘアピンカーブのきつい登り坂となっている(下写真)
写真右手が旧道の様でもあったが、途中で消滅していた
(栃木県那須町黒川)
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