那須町
夫婦石
黒川より坂道を登ると目の前が開けて来た
谷戸となっているところだ
この辺で標高は280mである
道の右端(写真中央)に、夫婦石神社の道標があった
江戸時代はこの辺一帯は夫婦石村と呼ばれていたところだ
(栃木県那須町夫婦石)
夫婦石神社
田圃の畦道を辿って夫婦石神社に行く
神社由来によると
「今から数百年前、戦国の世に1組の男女あり
敵に追われ、この地に逃げ来り
あたりは一面の芦の茂みにて身を隠す処無く
ふと見ると、其の中に大きな石があり
男は女を抱えて此の巨岩の割れ目に身を隠した
その時、追手は此の石のそばに来た
すると白蛇が2匹現れ巨大な石がゆれ動くのを見て
恐れおののき逃げ帰った」とのこと
二人はこのお石様のおかげで命を救われ
この地に住みつき、二人仲良く田畑を耕して暮らしたと言う
そして何時の頃からか、この石をご神体・夫婦石として祀り
縁結びの夫婦石神社となったとか
(栃木県那須町夫婦石)
夫婦石一里塚
さらに、森閑とした坂を上ると両側に一里塚が見えてきた
日本橋より43里(172km)目の一里塚である
下の写真は街道右側の一里塚跡である
(栃木県那須町夫婦石)
西坂・菖蒲川
峠を上り詰めると、視界が開けてきた
西坂地区である
地形的に芦野宿の西側にある坂という意味の地区であろう
ここから、次の宿場である芦野宿までは長い下り坂となっている
下の写真はその途中の菖蒲川である
(栃木県那須町西坂)
西坂集落
菖蒲川沿いの西坂集落(上写真)である
西坂からの旧街道と新しく出来たバイパスがここで合流している(下写真)
前方の山は芦野城跡、今は御殿山と呼ばれている(下写真)
芦野城は、天文年間(1532〜55年)、若しくは天正18年(1590年)に
那須氏一族の芦野氏によって築かれた城だ
江戸時代は旗本芦野氏3000石の陣屋であった
芦野宿はこの山裾に沿って出来ている
(栃木県那須町芦野)
ほ場整備竣工記念碑、館山城址
街道右手の田圃の中に大きな記念碑が建っている
山村地区農林漁業特別対策事業による圃場(ほじょう)整備竣工記念碑である
この背後の左の山が、かつての館山城のあったところだ
前述の菖蒲川に沿ったところである
応永1年(1393年)〜応永29年(1422年)
足利義持が将軍の頃に芦野氏が築いた城だ
右奥の坂道が旧奥州街道である
写真は、西坂方面を振り返って撮ったものである
(栃木県那須町芦野)
芦野宿
正面に芦野宿が見えてきた
この交差点の先が奥州街道25番目の宿場・芦野である
この左手には遺構は何も無いが
説明板によると鎌倉時代初期の芦野氏居館があったところの様だ
(栃木県那須町芦野)
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