悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 22

那須町・25芦野宿





25芦野宿

奈良川





奈良川を渡り、左に直角に曲がると
奥州街道25番目の宿場・芦野宿である

長かった下野国の最北端の宿場で
この次は陸奥国の最初の宿場・白坂宿となる

芦野宿はこの奈良川に沿って並行して設けられている
また、此処からの奥州街道は、この奈良川沿いに遡上して
下野と陸奥の国境である境の明神近くまで続いている

下の写真は、橋より上流側を撮ったものである


(栃木県那須町芦野)


河原町・座り地蔵



川を渡ると左に大きな石地蔵尊がある
宿場の入口にあるお地蔵様だ

蓮華の上に腰掛、左足を前に出していることから
座り地蔵と呼ばれている

江戸時代に作られたもので、宿場の入口で、川の畔にあることから
水害水難除け、また道祖神的な役割も託したものと見られている

赤い腹掛には、「奉納 豊泉琉依」と書かれてあった
なお、芦野宿は出口のところにも大きな地蔵尊が建立されている


(栃木県那須町芦野)



25芦野宿





宿場に入ると、街道両側の家の軒先に
屋号が書かれた常夜灯が設置されている

旧宿場らしい雰囲気作りであろう


(栃木県那須町芦野)



枡形・芦野宿中心街





枡形を抜けると、芦野宿の中心街となる
中世の芦野氏の城下町で江戸時代は旗本芦野氏の知行地であった

芦野宿は下野最北の宿場で、本陣1、脇本陣1、旅籠40余の
比較的大きな宿場であった
江戸時代から大正10年代までは、この道の中央には用水堀が走り
流れに沿って松や柳等の木が植えられていた様だ

上写真右手の高台は日本三聖天(しょうてん)の一つ三光寺である
聖天とは、仏教の護法神である大聖歓喜天の略である

左の伊豆屋菓子店は聖天まんじゅうと茶まんじゅうが名物である


(栃木県那須町芦野)


染屋、相川屋






染屋と呉服屋の相川屋

奥州街道芦野宿の暖簾と相川屋と書かれた常夜灯が
旧宿場の雰囲気を出している


(栃木県那須町芦野)


道標、明治天皇行在所跡





奥州道中芦野宿整備記念碑(上写真)で
側面には「奥州道中(奥州街道)形成ここに400年」と彫られてあった

下の写真は、街道右手にある明治天皇行在所跡である
大きな石造記念碑(写真中央)が建っている

ここがかつての問屋場跡のようだ


(栃木県那須町芦野)


旧旅籠・丁字屋





芦野宿で、唯一残されている元旅籠である丁字屋(ちょうじや、上写真右)
江戸次時代初期の創業で、今の当主は15代目とのこと

当時より鰻が名物で、今でも営業している
地元の余笹川や奈良川、黒川で獲れた鰻を用いていたが
今は、他所より仕入れているとのこと

奥には、江戸時代の蔵屋敷も健在である
江戸初期の創業で、今の当主は15代目とのことであった

左の建物は旧宝屋で、今は屋号を多可羅屋となっている

下の写真は昭和13年10月に建立された
「一心協力」と彫られた石碑である
湯泉神社社主撰文、芦野尋常高等小学校訓導謹書とあった

この年の4月に国家総動員法が公布され
決定していた東京オリンピック、万国博覧会の開催返上が発表された


(栃木県那須町芦野)


古道標




街道右手の古道標

「南ハ伊王野ヲ経テ黒羽ニ到ル、西ハ黒田原ヲ経テ小島ニ到ル
伊王野ヘ一里、黒羽ヘ四里、黒田原一里十七町、小島九町」
そして、正面には「奥州街道 鍋掛ヲ経テ大田原ニ至ル
、白坂ヲ経テ白河ニ至ル」と刻まれている

奥の石碑は芦野町道路原標と刻まれていた

ここを右折すると中世の芦野城、近世の旗本芦野氏の陣屋があったところだ
城が築かれたのは、天文年間(1532〜55年)とも
天正18年(1590年)とも伝えられている
この城が出来て、前述の館山城は廃城となっている

城跡(御殿山)の麓に、那須歴史探訪館が出来ている

復元された芦野陣屋裏門と江戸時代の土蔵があり
展示館には、那須町の歴史資料が展示されている


(栃木県那須町芦野)


石の美術館、本陣跡






地元の芦野石を用いた石の美術館、ストーン・プラザである
総芦野石作りの建築となっている

ここに、芦野宿・本陣があったという


(栃木県那須町芦野)


建中寺



街道右に建中寺
境内には、江戸時代以降の旗本芦野氏歴代の墓がある

芦野氏19代民部資俊(みんぶすけとし)から
27代目資原までの当主とその家族の墓とのことであった


(栃木県那須町芦野)


芦野宿出口付近






芦野宿の出口付近で、この先で街道は直角に左に曲がっている

その角にあるのが、新町の地蔵尊だ
芦野宿には入口と出口に大きな石造地蔵尊がある

説明によると享保2年(1717年)の建立とのこと
開眼の導師は建中寺の住職であった

芦野宿の入口にあった河原町の座り地蔵と同じく
種々の災厄を芦野宿に入れない役目も担っていたようだ


(栃木県那須町芦野)


奈良川






奈良川を渡ると、旧街道は右に曲がる

左手の建物が、無料休憩所の遊行庵で2軒建っている
この裏手に、西行法師が休んだと言う遊行柳がある

ここで法師が詠んだ「道野辺に 清水ながるゝ 柳陰 しばしとてこそ 立ち止まりつれ」
(新古今和歌集)の歌碑と、芭蕉の「田一枚 植て立去ル 柳かな」の句碑が建っている

なお、遊行柳は室町時代に遊行上人がここで柳の精の老翁を
成仏させたという伝説があり、歌枕となったところである

下の写真は奈良川の上流側である

下野国最後の宿場である芦野宿を後にして
国境を越え、次の宿場は陸奥国の白坂となる


(栃木県那須町芦野)
0905/0907


前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離 1.48km











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他