那須町・峯岸
峯岸集落
芦野宿を出ると、広々とした田園地帯に出る
その一画に大きな石碑がある
「蘇る豊郷」と大きく書かれた碑だ
芦野地区圃場整備事業完成記念碑である
芭蕉か遊行柳を見ながら詠んだ句
「田一枚 植て立去ル 柳かな」の時は、一枚一枚の田は今より小さかった
碑文によると、昭和に入り従来の人馬に頼る農法から
機械化農法に移るために大規模の区画整理が行われた様だ
この辺は嘗ては黒羽藩の領地で、肥沃で良質な米の産地であった
しかし、奈良川の水不足等で時には悩まされる地域でもあったようだ
この水利も改良したと刻まれていた
下の写真前方は峯岸の集落だ
(栃木県那須町峯岸)
愛宕神社・べこ石の碑
街道左手に愛宕神社とべこ石の碑(下写真)
嘉永元年(1848年)、芦野宿の問屋を務めた戸村右内忠怒(ただひろ)が
撰文建立したものだ
戸村家は黒羽町須佐木の出身で、元禄年間(1688〜1704年)に
芦野に移住し、酒造も行っていた
元は佐竹氏の一族で、秋田移封の時、帰農し須佐木に定住した
碑には、全文19段、約3500の文字が刻まれている
内容は、孝行の大切さと善行の勧め、堕胎の戒めと生命の尊重等を
実例や例え話を用いながら儒教的精神を中心とした人の道を優しく説いている
嘉永元年の頃の世相を窺い知る事が出来る貴重な内容となっており
那須町の文化財に指定されている
なお、べこ石の碑とは、べこ(牛)に似た石(臥牛)では無く
自然石の両面を平に削り、文字と共に
神農(しんのう)氏と思われる牛面人身の姿が
刻まれているから、べこ石と呼ばれるようになった様だ(下写真右端)
神農氏とは、民に始めて耕作することを教えた
中国の古伝説上の帝王のことだ
神農の母の女登は、人身にして牛面であったという
(栃木県那須町峯岸)
峯岸館兵従軍之碑
旧街道は国道294号線(旧陸羽街道)に合流するが、すぐ又左に入る
旧街道に入ると、左側に峯岸館兵従軍之碑、峯岸館従軍者之碑が
並んで建てられている(下写真)
戊辰戦争の時、黒羽藩は官軍として戦った
藩領であった峯岸近隣の集落の農民が
此処に設けられた峯岸館で洋式の軍事訓練を受けて
各地に転戦、戦功を挙げたその顕彰碑である
下写真左端の石柱は、出羽大神、月山大神、湯殿山大神と刻まれていた
所謂、出羽三山が一緒に祀られているようだ
(栃木県那須町峯岸)
間宿・板屋
板屋・奈良川
ここで、旧道は現国道を横切って右側に入る(上写真)
奈良川(下写真)を渡ると、間の宿であった板屋に入る
(栃木県那須町板屋)
間宿・板屋、諭農の碑
板屋の集落に入る
板屋の坂を上っていくと、街道左側に諭農(ゆのう)の碑がある
前述の「べこ石の碑」と同じく、嘉永元年に建立されたもので
戸村忠怒の農民を諭す文が彫られてある
内容は病害虫の駆除法や飢饉のための備忘法、飢人の救護法までだ
べこ石の碑や、この諭農の碑を作ったのは
中風を患っていた戸村忠怒の晩年の時であった
多くの死者を出した天保の飢饉や
大塩平八朗の乱、蛮社の獄、天保の改革
そして日本近海に通商を求める外国船が頻繁に現れ
異国船打払令が出された頃である
幕藩体制に綻びが出来、まさに内憂外患の時代背景に、
将来を憂い、碑を建てずにはいられなかったのであろう
(栃木県那須町板屋)
板屋一里塚
板屋の集落を抜けると、街道の両側に一里塚が残されている
日本橋から44番目(約176km)の板屋の一里塚だ
現在は、切り通しになっている為、一里塚は街道より見上げる高さにある
2枚目は右側で、3枚目は左側の一里塚跡である
ここには馬頭観世音と、馬頭大神と掘られた石柱もあった
4枚目の写真は、後ろを振り返って撮ったものだ
切り通しと、急な坂道が判り易いと思う
(栃木県那須町芦野)
蟹沢集落
板屋の一里塚を抜けると、蟹沢の集落に入る
切通しとなっている街道の右上には新旧の馬頭観世音が4柱並んでいる
此の辺は、峠の上り口や頂上付近に馬頭観世音が多く見られる
今回は、ここで奥州街道を歩いている甲府の年配のご夫婦と出会った
若い時は横浜の小机に住んでいたという
東海道、中山道、日光道中をすでに踏破し
今は、ここ奥州道中を順番に歩いている由
今回は芦野宿から歩き始め、今夜は白河に泊まるという
今回で奥州道中を完了して、次は幕府管轄の五街道の最後である
甲州街道を歩く予定とのことであった
街道歩きで同好の氏と逢い、情報交換するのは楽しいひと時である
(栃木県那須町蟹沢)
高瀬集落
蟹沢を抜けると、気持ちよい街道筋となる
この辺は西行法師や芭蕉も歩いたと思うと感無量である
やがて前方に高瀬の集落が見えてきた
集落の中ほどに、嘉永2年(1849年)と書かれた馬頭観世音があった
左端は大黒天と刻まれてあった
(栃木県那須町高瀬)
高徳寺
高瀬の集落の外れ、街道右手に高徳寺がある
資料には荒んだ古寺とあったが、本堂が真新しかった
立て直したばかりのようだ
ここで、小休憩した後に、次の間宿・寄居に向かう
(栃木県那須町高瀬)
0905/0907