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旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 24

那須町・脇沢〜間宿・寄居





那須町

脇沢





前方に脇沢の集落が見えてきた

この脇沢の集落を抜けると
旧街道は現在の国道294号線(旧陸羽街道)に合流する


(栃木県那須町脇沢)

間宿・寄居

常夜灯





沢口を抜けると、街道右側に大きな常夜灯がある
株宙苣ホ材の入口だ
この白井石材は、芦野石の採掘を行っていた会社で
那須町にある石の美術館、「STONE PLAZA」のオーナーである

現在は、芦野石に限らず、白河石、那須野石等の
採掘と加工を行っている会社である

下写真前方に間宿・寄居が見えてきた


(栃木県那須町寄居)



寄居宿入口





旧街道は国道294号線(旧陸羽街道)から左の細い道となる(上写真)

間宿・寄居の入口に古い常夜灯が建っている
寄居は間宿であるが、下野最後の休憩所として
結構発展していたようだ


(栃木県那須町寄居)



間宿・寄居、與楽寺







間宿・寄居の旧街道に沿った町並みである

かつては、ここで下野国最後の休憩を取り
境の明神峠を越え、次の陸奥国最初の宿場白坂に向かった

しかし、現在の寄居には休憩するような店や、コンビニすら無かった
現在の旧街道歩きでは、街道筋に沢山あった茶屋等が
全く無く、江戸時代とは別の苦労がある


2枚目の写真は真言宗智山派與楽寺(よらくじ)である
那須三十三所観音零場の第10番札所となっている


(栃木県那須町寄居)


泉田一里塚





寄居の集落を抜けると、再び国道294号線(旧陸羽街道)に合流する

上写真左端にある木製の道標には、「右白河関」と書いてある
ここを右折すると、かつての旗宿(はたじゅく)道で、白河関へ連なる街道である

国道に合流して少し行くと左側に立派に整備された
日本橋より46番目の泉田の一里塚がある(下写真)

那須町には夫婦石、板屋とここ泉田に一里塚が残されており
その中で、ここが最北端で下野国最後の一里塚であった

塚の上は、今は丸坊主であるが、かつては榎が植えられていた


(栃木県那須町寄居)
0905/0907


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略 図

経路青線部 距離 3.08km











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