東 鎌 倉
Higashi Kamakura


浄妙寺 
  北鎌倉と言うJRの駅はあるが、東鎌倉と言う駅は無い。鎌倉駅より金沢八景行きのバスで滑川(なめりかわ)沿いの金沢街道を東に向かい、「浄妙寺(じょうみょうじ)」で下車した。
  明王院、十二所(じゅうにそ)から朝比奈切り通しを通った旧金沢街道は別途纏めてあるので、そちらを参照していただきたい。今回は、その手前の浄妙寺から、滑川沿いの旧道付近を鎌倉駅の方に向かって歩いた。
   最初に、立ち寄ったのが浄妙寺である。文治4年(1188年)、足利義兼(よしかね)が創建した真言密教の極楽寺が全身で、その後鎌倉時代中期に禅宗に改宗、鎌倉五山の第5位に列せられた大寺であった。
   現在のものは、宝暦6年(1756年)に再建されたもので、かなり縮小されているから、当時の面影は無いとのこと。
   街道から奥まったところにあるため、観光客も殆ど無く、静かな佇まいであった。小さいが、石庭もあり落ち着いた雰囲気である。境内の喜泉安(きせんあん)では、茶を飲ましてくれる(有料、500円)。
   浄妙寺より、旧金沢街道を横断し、滑川に掛かった小さな橋(華の橋)を渡って、100mほど狭い道を歩いた所に竹の寺として、知られた報国寺がある。 
報国寺・竹の寺
   報国寺は足利家時が開基(1334年)とのこと。本堂の裏手が見事な竹林となっており、「竹の寺」として知られている。鎌倉三十三観音の第10番。この竹林は京都から移したものとのこと。その竹林の中に小さな灯篭や石仏が配されている。
  竹林の奥には茶席があり、菓子が付いて、抹茶が300円(別に竹庭入庭料200円)で飲める。休憩を兼ねて、ここで一服した。
   報国寺には永享(えいきょう)の乱(1439年、鎌倉公方足利持氏(もちうじ)が将軍職を狙って室町幕府に反逆を謀った事件)の時、足利家時と、この寺で自害した持氏の子、足利義久の墓がある。里見八犬伝の舞台(八犬伝では、義久は義成となっている)となった所だ。   
  竹庭の中の小さな石仏。安永と読めるから、1772年頃の建立と思われる。何か地下から呼びかけているような気がする。
  報国寺を参詣した後、又、旧金沢街道に戻り、滑川沿いを200m程、八幡宮の方へ向かうと、杉本観音のバス停がある。そこを右に折れ、100m程坂を登ったところに杉本観音として知られた、杉本寺(すぎもとじ)がある。
杉本寺
   杉本寺への階段であるが、通行不可となっている。近くに迂回路が出来ている。苔むした何ともいえぬ階段であるが、保存の為と言う。
   杉本観音は、坂東三十三観音の第1番札所である。光明(こうみょう)皇后の御願により行基(ぎょうき)が開創(天平6年、734年)したと伝えられている鎌倉最古の寺である。 
   この裏手には、杉本城址がある。我々は、この後、峠を超え、鎌倉宮、荏柄(えがら)天神、鶴ヶ丘八幡宮を経て、小町通りの居酒屋で、疲れた体を癒した。
   今回の写真紀行は、写真仲間との東鎌倉撮影会での記録である。なお、東鎌倉と言う分類は一般的では無く、私の造語である。ガイドブックでは、この辺は、単に「金沢街道」と分類されているのが多い様である。


ルート
 
横須賀線 鎌倉駅〜金沢八景行きバス
〜「浄妙寺」下車〜浄明寺〜報国寺
〜杉本寺〜鎌倉宮〜鶴ヶ丘八幡宮
〜小町通り〜鎌倉駅
 
歩行 3時間 
休憩所・駐車場

浄妙寺、報国寺 駐車場有(各10台位)
杉本寺 無し

トイレ 各寺にあり

9710/0202

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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