日本写真紀行
多摩川写真紀行

登戸・多摩川水道橋
Noborito、Tamagawa 
多摩川サイクリングロード(右岸)
  今回は多摩川の右側のサイクリングロードを遡上して見た。写真は、多摩川水道橋を潜って、土手に出て振り返ったところのものである。
  手前の橋が多摩川水道橋で、その背後にあるのがが小田急線の鉄橋だ。水道橋は文字通り、多摩川を跨いで水道管が走っている橋だ。下流の下丸子のガス橋がガス管であるのと同様である。
多摩川水道橋
   水道橋といえば中央線の御茶ノ水の次の駅の「水道橋」の方が有名かもしれない。私も、多摩川水道橋の事を知らなかった。それより、この橋が世田谷通りの多摩川に架かる橋としてしか認識していなかった。
  学生時代、世田谷の松原に住んでいた。そして友人が小田急沿線の百合ヶ丘(川崎市)に住んでいたので、良くこの道を利用してバイクで行ったものだ。
  世田谷通りは、世田谷の三軒茶屋で厚木街道(国道246号線、矢倉沢往還)と分かれ、略小田急線に並行して走っている道である。昔は津久井往還(登戸街道とも)と呼ばれていた。 
水道橋の上流側
  津久井往還は多摩川を渡り、神奈川県の鶴川、橋本、津久井から道志川沿いに山中湖、富士吉田、御坂峠を越え甲州黒駒、石和を経て甲府に通じる道で黒駒街道とも言われていた。
  この水道橋が完成したのは昭和28年で、川崎の丘陵地にある浄水場から東京都(世田谷区、目黒区、大田区の一部)に一日20万トン以上も給水しているとのこと。それまでは渡し舟(登戸の渡し、登戸と対岸の狛江間)であった。 
  登戸の渡しには、人を乗せる小型の舟の他に、津久井の絹や炭等の特産物を積んだ荷車などを運ぶ大きい船も運航していたとのこと。
  なお、登戸の戸は家の出入り口、戸口等の意味で、この土地がちょうど多摩川の平地から多摩丘陵へ登るところに位置しているから登戸と呼ばれるようになったのであろう。
多摩川五本松
  上流側の対岸は新東京100景に選ばれている五本松(狛江市、西河原公園)である。なお、新東京100景は、都民の日制定30周年記念事業として制定されたもの。 
小田急線鉄橋 
  右岸を下り、線路の反対側の写真である。小田急の鉄橋のある所だ。東京に住んで初めて、ボートに乗ったのがこの付近である。
  今でも、わずかであるがボ-ト小屋があるが、当時は物凄い数であった。当時は数少ない手頃なレジャーであった。  
  この小田急線は昭和2年に新宿小田原間(82.8km、現在は82.5km)が開通し、登戸駅、そして対岸に和泉多摩川駅が出来た。工事開始してからわずか1年半で開通したとのこと。
  当時の計画では新宿と稲田登戸(現向ヶ丘遊園)間のみが複線の計画であったが、開通半年後には、全区間複線化された。しかし、当時の世界大恐慌の影響を受け、経営は極度に苦しかった由。
  どうやって乗客を増やすか大変な努力を強いられたという。今の小田急の慢性的な混雑を見ると信じられないくらいである。
小田急線鉄橋の下流側
  遠くに見えるのは二ヶ領用水の宿河原堰提である。 
  都心に近い土地柄か、登戸や狛江は急速に住宅地化された。それでも、この多摩川はまだ自然が残され、いい憩いの場となっている。
  この日も沢山の鴨やカモメが飛来し、白サギも餌を求めていた。



ルート

 
小田急線又は南武線 登戸駅
〜多摩川土手〜多摩川水道橋〜
宿河原堰提


歩行往復 2時間

休憩所・駐車場

駐車場 なし
 
トイレ・休憩所 あり

0301/0312/0507

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
戻 る 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh