横 浜 港
Yokohama Port

みなとみらい21地区
    神奈川県民ホールでのコンサートの始まる前のひと時、横浜港を久しぶりに歩いてみた。そして、その変わり様に驚いた。つい最近、ここで写真仲間との撮宴会(撮影会と宴会)が行われたばっかりであった。
   あれから5年後、またまた大きく変わっているのである。このみなとみらい21地区から山下公園まで、かつての線路跡を利用した立派な遊歩道が出来ている。以前の港の面影は殆ど消えすっかり観光地化していた。
新港埠頭
   思えば、家内と最初にデートしたのがこの横浜港であったから、30年以上もこの港を見ていることになる。そんな感慨を持って、山下埠頭からみなとみらい21の間を往復した見た。
   横浜港は今でも日本第一の貿易港である。横浜港は北は境運河から南は金沢区小柴崎までを言い、この間に数万トン級の豪華客船が接岸できる大桟橋(おおさんばし)埠頭を始め、新港(しんこう)埠頭、高島埠頭、本牧埠頭、山下埠頭等がある。 
大桟橋方面
   最寄のJR駅だけでも、横浜、桜木町、関内、石川町の4駅に亘っている。横浜という名前は、海を横切る様に突き出た砂浜(砂州)があったからと言う地形説が有力とのこと。
   そんな辺鄙な漁村を一躍有名にしたのは、日米修好通商条約(1858年、安政5)である。ここを開港とし堀(大岡新川)を作り、出島の様にしてしまった。その名残の建物や地名が今でも多く残されている。
廃線跡、旧プラットホーム
  新橋、横浜に日本で始めて鉄道が開通した時(明治5年、1872年)の横浜駅は、今の桜木町駅である。そこから伸びた貨物線の廃線跡が素晴らしい遊歩道となり、御目見えしたのは極最近の事だ。
  背景となっている建物が赤レンガ倉庫である。左下の写真はライカM6(F2、50mm、ズミクロン、プロビア)で撮った写真であるが、他の写真と比べて見応えがあると思うが如何であろうか。さすがライカである、と思う。 
赤レンガ倉庫
   この辺一体は「赤レンガパーク」として現在整備中であるが、何度見ても見事な建物である。左下の人と比較して、その大きさが解ると思う。
   もともとは明治44年(1911年)建造の新港保税倉庫であったものだ。国から市に管理が移されたのが平成3年で、それまで荒れ放題であった倉庫が、今見違えるように蘇った。内部は未だ入れないが、作業が急ピッチで進められていた。
山下公園
  山下公園よりみなとみらい21を見た写真だ。近くに見えるが、これは望遠レンズのマジックである。下の写真は広角レンズであるから大分感じが違って見える。写真の面白さだ。
   山下公園は横浜港に面した、日本最初の近代的な海辺の公園と言われているが、関東大震災の時の瓦礫を埋め立てて作られたものとは知らなかった。
氷川丸
  以前は海が汚かったが、今はボランティアの活躍で、海底のゴミも綺麗に除去され、気持ちが良いほどに、水も綺麗になっている。
  右手前が氷川丸で左奥が大桟橋に停泊する客船だ。あたかも新旧対比しているようであった。氷川丸はかつては、シアトル航路に就航し、太平洋の女王と謳われていたが、現在は係留されたままで、内部は一般に公開されている。
  日が暮れるころ、県民ホールで家内と待ち合わせし、コンサートを楽しんだ。


ルート

根岸線 関内〜山下公園
〜大桟橋〜新港埠頭〜赤レンガ
〜みなとみらい21〜臨港パーク

歩行時間(往復) 3時間

駐車場

山下公園 有料
みなとみらい21 有料
 
休憩所
山下公園、赤レンガパーク(一部開設)
港みらい21、臨港パーク

0203/0203

悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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