松長一里塚 沼津領の榜示杭を過ぎると、松長一里塚跡脾(沼津市大諏訪)がある。右手の大谷石で出来た塀の門の右横にある黒い石脾に刻まれている。 江戸から30番目(120km)の一里塚がここにあった。沼津と原のほぼ中間点で、写真右手奥にはJR東海道線の片浜駅のあるところである。 |
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神明塚古墳 さらに歩を進めると右手にのJR東海道線に沿って、神明塚古墳がある。全長54mもある沼津市内最大の前方後円墳である。5世紀末から6世紀前半のものと推定されている。なお市内の三大古墳とは、この古墳と、子ノ神古墳、長塚古墳を指している。 頂上は神明宮となっている。創建は元和2年(1616年)と由緒にあった。 |
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片浜駅前 片浜駅は新しい駅である。JRが民営化されるわずか10日前(昭和62年、1987年)に開業した駅で沼津と原の中間にある。 旧東海道と反対側の北側には大規模な団地(今沢団地)が出来ている。 |
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三島神社 片浜駅の少し先の、JR東海道線と旧東海道の間に三島神社がある。沼津から真っ直ぐな一本道でさすがに疲れを覚えたので、ここで一休みした。 昔なら、あちこちに宿場や立場、茶屋があり休憩する場所に事欠かなかったが、現代の徒歩の旅は、適当な休憩する場所が無い。その点、こういった神社の境内は、ベンチや水道、トイレまでもあるところが多いから、正に旧街道歩きのオアシスである。 今回はさらに昼食を取る所も無く閉口した。先ほどの片浜駅や、次の原宿の駅周辺には、食事処は一軒も無いのである。 |
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JR東海道踏切 三島神社で休憩した後、JR東海道線の踏み切りを渡る。ここからが原宿と思うとほっとするところである。 踏み切りより右手を見た写真である。正面に愛鷹山、その背後には冨士山が見えるところであるが、生憎雲の中であった。 そして手前の広大な裾野がかつて浮島が原と呼ばれたところである。「北に冨士沼、南に大洋漫々たり。その中の曠高(こうげん)なればこの名あり。原、吉原、蒲原を三原(さんげん)という」と江戸時代の東海道名所図会に紹介されているところだ。 そして左側は千本松原がずっと続いているところである。 |
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原宿東木戸跡 写真中央のカーブミラーの下に、原宿東木戸跡の石碑あり。ここが、原宿の入口であった。 「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」といわれるように原宿にはこの白隠(はくいん)禅師所縁の寺、松蔭(しょういん)寺が左手の路地を入ったところにある。 白蔭臨済宗の高僧として知られた僧で、岡山藩池田継政より贈られた備前焼の擂鉢が今も残されている。 |
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本陣跡 左手徳源(とくげん)寺入口に本陣跡脾(写真左下、黒い石碑)あり。渡辺本陣のあったところである。当時の玄関と茶室は前述の松蔭寺に移築され保存されている。 原宿はこの本陣の他に、高田氏の脇本陣1、旅籠25軒で規模としては沼津宿の半分以下であった。しかし、この宿は飯盛り女のいないことで有名であった。 他の宿のように飯盛女で稼がなくても、伝馬所としての責任を果たしてきたのは、原宿の開発の親である名主の大橋五郎左衛門が、家康からその功を認められ、「諸役不入之事」の一札を取っていたことによるという。 幕府の課役の追加負担が無かったから、飯盛女を置かなくても経営出来たらしい。宿場では珍しい事例である。 |
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沼川・新田大橋 沼川第二放水路である。新田大橋より北側を見た写真である。冨士はおろか愛鷹山も雲に隠れて見えなかった。 沼川は東海道とほぼ並行に流れている川で冨士の田子の浦で駿河湾に流入している。しかしこの川は、海から逆流する海水で、折角開拓した浮島が原の田圃に何度も甚大な被害を与えていた。 汐除堤(しおよけつつみ)や石水門等を造りその予防には相当苦労した様だ。 この用水路の手前にラーメン屋があった。遅い昼食にやっとありついた感じであった。ここで食べたチャーハン定食は旨かった。街道歩きの話をしていると、食後のフルーツにと蜜柑を頂いた。感謝。 |
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一本松一里塚跡 写真右手に一本松の31番目(124km)一里塚跡(沼津市一本松)の石碑がある。 江戸時代はこの辺は一本松村の浜辺で、要石(かなめいし)があったという。東海道名所図会によると「一本松村の浜辺にあり。傍らに石造の社あり。高潮打ち上がる時、この石より陸地へ来ることなし。故に要石の名あり」とある。 そしてこの辺では、大網を地引しての鰹漁が盛んであり、景色も伊豆まで見通せた様だ。しかし、今では防潮堤が出来、また家が立ち並んでおり、海すらも見えない。 ここを過ぎると、沼津市と別れ、いよいよ吉原宿(冨士市)に入る。 |
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ルート 沼津榜示杭沼津杭〜松長一里塚 〜神明塚古墳〜片浜〜原宿 〜沼川放水路〜一本松一里塚 歩行距離 5.48km |
休憩所・トイレ なし 名 物 鰻蒲焼 かつお 白陰正宗(江戸時代より続く高嶋酒造) |
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