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旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(34)

16由比宿
  Yui

しらすとスマシ
  蒲原宿の西木戸を抜けると、旧東海道は現県道396号線(富士由比線)と合流する。ここから片側1車線の車道となる。道の両側に、由比名物の桜海老、しらす、イルカのスマシの看板を掲げた店が増えてくる。
  奥駿河湾に面した由比は、昔から桜えび漁が盛んであった。しらす(白子)は鰯等の雅魚のことで、長さ3~5cmくらいの無色透明の魚で、加熱すると白くなる。また、イルカのスマシとは、イルカの鰭(ひれ)や皮を茹でて加工したもので、ガムのような噛み応えたがあるので、蒲原ガムとも呼ばれている。子供のおやつとして重宝がられたようだ。
JR蒲原駅
  さらに進むと左側にJR蒲原駅がある。紛らわしいが、蒲原宿の近くにあるのが「新蒲原」駅で、遠くはなれたここ(元堰沢村)にあるのが蒲原駅である。
  東海道線の開業当時は岩淵駅(現在の富士川駅)があり、蒲原駅は無かった。その後、地元の熱心な誘致活動により、由比駅と蒲原駅を新たに作ることになり、距離的に略中間となるここに明治23年(1890年)、蒲原駅が出来た。
  しかし、蒲原宿から遠く不便であるので、78年後(1968年)、さらに旧宿場の近くに新蒲原駅が出来た。
16由比宿東木戸
  開業すると、もともと人口の多い蒲原宿付近の新蒲原駅の方が、古い蒲原駅よりも乗降客が上回ってしまった。
  JRの蒲原駅の待合室で、休憩させてもらった。直営駅でみどりの窓口のある駅である。
  休憩した後、街道に復帰した。少し進み東名高速道路の下を潜ると、分岐となる。左の狭い道が旧東海道である。目の前に、是から越えるさった峠が大きく見えるところである。
由比一里塚跡
  分岐を左に入り、神沢(かんざわ)川を渡ると東海道16番目の宿場・由比宿となる。住居表示も、静岡市蒲原町から静岡県由比(ゆい)町に変わるところだ。
  なお、蒲原町は由比町を挟んだ隣の静岡市の飛び地となっている。いずれ静岡市清水区に編入されるという。平成の大合併から、由比町が取り残された感じとなっている。地理的にも、いずれ静岡市と合併せざるを得ないであろう。
  由比宿に入ると、直ぐ左手に由比一里塚跡碑がある(写真左下石柱)。江戸より39番目の一里塚である。
由比宿・本陣
  街道右手に由比本陣跡がある。1300坪もある広い敷地で、由比本陣公園として復元、整備されている。写真は本陣の入口の常夜灯と表門で、左手は物見櫓である。中には入ると、由比宿交流館、由比本陣記念館御幸亭、東海道広重美術館等が出来ている。
  交流館は、博物館や観光情報の他、休憩室もある。御幸亭は、明治天皇がここで3度休憩されたとのことで、その離れ座敷と茶室を復元したものだ。そして、広重美術館は、浮世絵師歌川広重の作品を中心に1300点余を展示している。  
由比宿町並み
  本陣跡の広い芝生から街道を見た写真である。本陣の黒塀に平行して,由比宿の町並みが見える。
  由比宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠32軒の宿場であった。宿内の総戸数は160軒もあった。難所であるさった峠を控えた宿場として、ここに泊まる客も多かったようだ。
由比正雪生家
  正雪紺屋と暖簾の掛かった旧家で、由比(由井とも)正雪の生家と言われているところだ。中庭には、正雪の霊を祀る祠堂がある。正雪は、江戸で楠木不伝に軍学を学び、神田の連雀町で多数の旗本や大名家臣に軍学を教えていた。
  当時、世の中が治まり、改易等で浪人が20万人にも増えていた。それを憤った正雪は、浪人救済を掲げ、慶安4年(1651年)に江戸、駿府、京都、大坂で騒乱を起こすことを計画したが密告で発覚、府中で自決した。後に慶安事件と呼ばれるようになった。
  事態を重く見た幕府は、この後、改易等で浪人が出ないような対策(末期養子の緩和等)を講じるようになった。
由比・脇本陣跡
  旧家平野家である。かつての由比宿脇本陣饂飩屋屋(うんどんや)四郎兵衛跡である。饂飩(うんどん)とは耳慣れないが、麺のうどんのことである。
  現在の建物は百数十年前に改築されたものであるが、梁などは当時のままのものもあるとか。また、脇本陣を営んでいたときの資料や美術品も保存されているとのことであった。
馬の水飲み場
  街道に沿って、馬の水飲み場が再現されている。幅1m、東西20mの細長い濠で、大名行列等の馬に水を呑ませたところだ。今は浅いが、かつては深さが60cmもあったという。
  屋敷の前の街道に、この様な施設があるのは、非常に珍しいとのことであった。
おもしろ宿場館
  街道左手に由比宿おもしろ宿場館がある。門の入口に、今にも入りそうな格好をした弥二さん、喜多さんが人形が立っている。
  門を潜り中に入ると、江戸時代にタイムスリップしたようなかつての由比宿の旅籠、桶屋、寺子屋などの町並みが再現してある。おみやげ処の「弥二喜多屋」の他、2階には由比名物の桜えび料理が食べられる展望レストラン「パノラマテラス海の庭」がある。ここからは駿河湾が一望できるとのこと。
  因みに、桜えび御膳が1575円、桜えび揚げせいろ1155円、揚げ桜えびそば735円とあった。
ばったり床几
  ばったり床几とよばれるものだ。下の部分を手前に引くと、椅子になり休憩することが出来る。普段は往来の邪魔にならないように写真のように閉じて置くとのこと。
  今でも、徒歩の旅人にとってはありがたい施設であるが、無常にも危険のため使用禁止と書いてある。椅子の部分が使えないように釘で固定されていた。
由比橋と薩埵峠
  由比川に架かる由比川橋である。背後の山がこれから越える薩埵峠(さったとおげ)で、ここが由比宿の西のはずれであった。
  由比宿は、西はさった峠のある興津川山地で、東は蒲原丘陵の急峻な崖が駿河湾に迫っているところで、海岸に沿ったこの由比川沿いのわずかな平地にある宿場であった。
  半農半漁の宿場であったが、今でも由比漁港は桜エビ漁の基地となっている。
せがい造りと下り懸魚
  由比川を渡り、街道を進むと左側に特異な形をした旧家(稲葉家)がある。せがい造りと下り懸魚(げぎょ)のある家で、特に由比宿に多い家の造りとなっている。
  せがい造りとは、軒先を長くした屋根を支えるため、平軒桁へ腕木を付け足して、出桁として、垂木(たるき)を置いたもののことである。
  また写真では解りにくいが、懸魚とは、平軒桁の両端が露出していると風雨に弱いので、金属の薄い板に若葉花鳥などの彫刻をしたものを張り付けたもので、家の装飾を兼ねているものだ。
由比町、今宿町並み
  由比駅が近付いてきた。和瀬川を渡ったところである。桜えび、しらすの製造直売所と書かれた店の多いところである。
  この左手に由比漁港がある。由比漁港には、直売所や「浜のかきあげや」と呼ばれる食堂がある。由比漁業組合直営の店で「かきあげ丼」600円が人気とか。
   漁業組合によると、年間の漁獲高は桜えび1378トン、しらす170トンとのことであった。桜えびは3/下~6/上と、10/下~12/下の年2回が漁期である。しらすは3/中~1/中まで漁獲されるとのこと。  
JR由比駅
  由比宿の抜けて由比川、和瀬川を渡り、由比漁港を過ぎると左手にJR由比駅がある。やはり、この駅も宿場から結構離れたところに出来ている。
  蒲原と違い、由比宿は海に面しているため、駅を作る場所が無かったからであろう。

  少し日が翳ってきたが、今回は目の前の薩埵峠を越え、興津宿まで行く予定である。時間的に少し迷ったが、今日の峠越えを決断した。昔の旅人の心境であった。



ルート
 
蒲原宿西木戸~蒲原駅
~由比一里塚~34由比宿
~由比本陣跡~脇本陣跡~由比川
~由比漁港~JR由比駅


歩行距離 5.22km



休憩所・トイレ

由比本陣跡公園、おもしろ宿場館


名 物
桜えび、しらす、イルカのスマシ
さざえ、鮑
たまご餅


 

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0501/0707/1101
Hitosh


歩行略図

蒲原宿西木戸~由比宿~JR由比駅
歩行 青線部
( 5.22km )









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