寺尾町並み JR由比駅前を過ぎると、街道は緩い上り坂となる。県道に架かる歩道橋寺尾橋を渡り、反対側の細い道が旧東海道である。 少し進むと寺尾の集落となる。右手にある賛徳寺は寛文9年(1669年)、地元の長者河西六郎右衛門が自邸を提供し、日覚上人が開基したである。 この辺は空襲を受けなかったので、昔の街道の雰囲気をそのまま保っている集落である。 |
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寺尾、小池邸 寺尾の小池邸である。説明板によると、小池家は甲州武田氏家臣で当地に移住し、当主は代々小池分右衛門を名乗り、寺尾村の名主を勤めていた。 建物は明治になって立て直されたものであるが、大戸、くぐり戸、ナマコ壁、石垣等は江戸時代の名主宅の面影を留めているという。この旧家を、由比町が購入し修復した後、「東海道名主の館、小池邸」として保存され、街道を歩く人の休憩所となっている。 |
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あかり博物館 その隣に寺尾の旧家を利用したあかり博物館がある。東部電機工業の社長片山光男氏が、個人で収集した提灯や油行灯等の日本の灯具1000点以上を展示している。 展示品の説明は主人自ら行っているとのこと。入場料は500円である。 |
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駿河湾 さらに、少し登ると左手に視界が開け、駿河湾が見渡せる。晴れていれば富士山が眼前に広がっているところだが、生憎、富士は雲の中であった。 この辺は天子山地や身延山地が海に迫っているところで、海岸沿いの断崖を削って、東海道線と現東海道が、そして海の上を東名高速道路が走っているところである。 旧東海道は、山の斜面を切り開いた道となっている。 |
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間の宿倉沢・脇本陣 倉沢の集落に入る。ここはかつては間の宿(立場)であった。薩埵(さった)峠の直下で、ここから急な坂道となるので、休憩所として繁盛したところである。 ここの名物は、鮑とさざえであった。かつてはこの辺を田子の浦と言っていたようだ。 左の写真は間の宿の脇本陣柏屋跡である。明治天皇もここで休まれたとのこと。また、ここには茶屋藤屋の離れ屋敷があり、望嶽亭と呼ばれていた。文字通り、富士山が正面に見える絶景の地であった。 |
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一里塚跡 間の宿倉沢を出ると、一里塚跡がる。日本橋より40番目の一里塚である。約160kmとなる。なお、JR東海道線の東京駅から由比駅までの営業距離が158.4kmと時刻表にある。 一里塚の頂上には榎が植えてあったというが、今は一里塚跡の石碑(写真中央)だけである。ここに、色とりどりの手製の杖が多数置いててあった。地元のボランティアの方が、これから薩埵峠を登る人ために用意したものである(感謝)。 |
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薩埵峠中道上り口 一里塚跡から、急坂となる。かつて、さった峠を越える道は上道・中道・下道の3通りあった。下道は、この一里塚を左折し海岸に出て、波の合間を利用して、波打ち際の岩の間や浅瀬を通る道である。まさに親知らず子知らず(親不知、小不知)の難所であった。 それで、開削されたのが中道(写真)であった。一番坂、二番坂と呼ばれた急な登りが続くが、道の両側はみかん畑で、まさに快適なハイキングコースとなっていた。 なお上道は、峠を越え興津側に、一番最後に作られた道であるが、現在では消失し通ることが出来ない。 |
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駿河湾、興津方面 薩埵峠の中腹である。ここまで登ってくると、海沿いを走る、現東海道や東名高速を走る車が小さく見える。写真は、興津方面を見たもので、東名高速道路とJR東海道線は、ここから薩埵峠のトンネルに入るところである。 現東海道は、大きく左にカーブしながら、薩埵峠の断崖の先端の切通しを通っている。 |
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みかん畑 道の周りはみかん畑がずっと続いている。あたり一面みかん畑である。 薩埵峠は、箱根峠、鈴鹿峠と並んで、東海道の三大難所の一つと言われていたが、登ってみると、一番楽で楽しいコースであった。 見晴らしは良いし、道は急坂ではあるが、歩きやすい上、道の両側は延々とみかん畑である。まさに桃源郷である。ただ、この狭い道を、時折ではあるが観光目的の車やバイクが通るのには驚いた。もちろん、車がすれ違うことが出来ない程の狭さである。 |
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薩埵峠碑と薩埵地蔵道碑 急坂を登りきると、新しい道標と、延享元年(1744年)建てられた「薩埵地蔵道」の道標が並んで建っている。江戸時代は山神平(やまのかみたいら)と呼ばれていたところだ。実に見晴らしの良いところである。駿河湾を眼下に、遠く伊豆半島が見える。 東海道名所図会によると、「中古、地蔵薩埵の像、この浜より漁夫の網にかヽりて上がりしおり、薩埵山という。この峠より左の方五町にさった村ありて、村中東勝院の地蔵堂にこの尊像を安置す」と記されている。 なお、東勝院は現存する寺院で、かつては上道がここを通っていた。 |
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薩埵峠駐車場 薩埵峠の先に、駐車場があった。RV車やバイクで来ている人がいた。見晴台となっている。 薩埵峠よりの展望は、古代より、いろいろと紹介されている。前述の名所図会では「この峰は絶景にして、まず寅の方に富士の高値白砂にして、時しらぬ雪をあらわし、卯の方に愛鷹山(あしたかやま)、巳の方には伊豆の岬、酉の方には三保の松原、みな鮮やかに見え渡りて、前には江海渺全(びょうぜん)として、長閑け春の波間に鮑とる海士、さざえ突く漁夫、夏は磯辺の蛍飛び交う景色~ |
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薩埵峠より駿河湾と富士 ~初雁の渡る影は雲と水との中に消えて、浦の苫屋(とまや)の秋の夕ぐれにこヽろを傷まし、いさヽ波にむれいる小夜千鳥の声すごく、氷と見ゆる冬の月かげいと寒し」とある。まさに絶景である。 左は薩埵峠の頂上より見た写真である。微かに富士の頂が顔を出した。裾野は雲の中であったが、ほっとした。折角ここまで歩いてきて、富士が見えないのでは余りにも寂しい。 |
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薩埵峠説明板 晴れていれば、左の写真の様にくっきりと富士が見えるところである。現代も、そして昔もここは絶景の地であった。広重の浮世絵「由比薩埵嶺」にも描かれているところだ。 興津方面への下り道は、駐車場の先から、階段を少し下りたところからである。今回の目標のJR興津駅まではあと一里(4km)の道のりである。 |
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ルート JR由比駅~寺尾~間宿・倉沢 ~薩埵峠 歩行距離 3.15km |
休憩所・トイレ 薩埵峠駐車場 名 物 さざえ、鮑、蜜柑、琵琶 |
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