悠々人の日本写真紀行

旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(11)

保土ヶ谷宿〜品濃坂
Hodogaya − Sinanozaka


旧東海道分岐(保土ヶ谷2丁目交差点)
  今井川沿いにある保土ヶ谷宿の京方見附跡を後にして300m程歩くと、東海道(国道1号線)と合流する。合流して100mほど歩くと、左の写真の分岐点に着く。
  ここからは、右側の道が旧東海道である。大きな道標が出来ているので間違えることは無い。
  暫く歩くと右手に樹源寺(じゅげんじ)がある。明治の新史劇「歌舞伎物語」等の作者、山崎紫紅(1875−1039年)の墓があることで知られている。
樹源寺
  寺の縁起によると寛永年間(1624−1644年)に、名前の由来となった大欅(けやき)の傍らに、日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として、保土ヶ谷宿本陣の初代刈部(かるべ)氏の妻女妙秀尼により開山されたとのこと。
  大欅は700年の樹齢を誇ったが、排気ガス等により枯れ、昭和45年に伐採されてしまった。この大欅と白蛇の伝説が残されている。
  さらに進むと、右側に旧今井川に架かる旧元町橋はこの辺にあったという説明板があった。
権太坂
  JR東海道線の元町のガード下横の丁字路を左に曲がり、今井川に架かる現在の元町橋を渡ると、すぐ右手に権太坂(ごんたざか)の登り口がある。
  いよいよ旧東海道最初の難所と思うと気合が入るところである。
  権太坂は、長大な坂(2km弱)である。昔旅人が土地の老人に坂の名を聞いた所、自分の名前を聞かれたと思い権太と答えたことによると設置された案内板書かれている。
権太坂道標
  横浜横須賀道路の上に架かる権太坂陸橋を渡り、暫く歩いた坂の途中右手に「ごんた坂」と彫られた石柱(左写真の右)がある。
  なお、江戸時代の権太坂は、現在のものよりきつかった様だ。宅地造成や車の通れる道にするため、傾斜が緩くなっているとのこと。
権太坂1丁目の分譲地
  さらに登ると、見晴らしの良い所で出る。右側の下は整然とした碁盤目の新興住宅地となっている。住所は権太坂1丁目である。
  晴れた日には冨士も見える所である。北斎が描く、松並木の向こうに冨士が描かれている「保土ヶ谷」の絵は、この辺を書いたものであろう。
  権太坂は尾根道となっているため、反対側もやはり住宅地となっている。
旧牡丹餅屋
     権太坂を登りきった所に境木(さかいぎ)中・小学校がある。境木中学校の前を左に少し下った所(約100m)に、投込(なげこみ)塚の碑がある。
  権太坂で行倒れ等で死んだ人の骨が、付近の住宅地造成の際に多数発掘されため、供養碑が建立された。なお、その人骨は品濃坂下の東福寺に埋葬され、そこに「無量光仏」碑が建立されている。
  境木中学校の前を街道沿いに右折すると、右側に立派な旧家がある。名物牡丹餅(ぼたもち)屋(立場屋)のあった所で、現在の若林家屋敷である。
境木地蔵尊入口
  さらに進むと右手に境木(さかいぎ)地蔵尊がある。境木地蔵尊は武蔵国と相模国の国境であったのでこの名前がある。万治2年(1659年)の創建とある。
  このお地蔵さんは、お金の集まる縁起の良い地蔵とか、脚気に効果があるとか、大入道に化けて追いはぎを追い払ったとかで東海道の名物になり、この近辺には茶店が軒を並べていたとか。 
境木地蔵尊本堂
  境内には樹齢数百年の大欅(けやき)がある。国境の木として知られ、境木の地名の起こりと伝えられている。
  今でも地元の人の信仰が厚いのか、ここで休憩を取っている間に、何人もの人が参拝に来ていた。日本橋から順番に歩いてきたと言うと驚いていた。この境内で小休止した後、焼餅坂に向かった。  
焼餅坂
  境木地蔵尊を出ると、今度は快適な下り坂である。最初の木立の中の薄暗い下り坂の所には焼餅(やきもち)坂との道標があった。別名を牡丹餅坂とも言うとのこと。いずれにしろ、当時は焼餅の良い香りが漂っていたことであろう。
  焼餅坂を下り、少し登り返したところ(谷宿坂)に品濃(しなの)一里塚がある。ここの一里塚は、ほぼ昔のままの形で街道の両側に一対の塚が残されている。  
品濃一里塚
  写真は右手の一里塚である。登ってみると、雨で土が流され、木の根が露出して痛々しかったが、昔日の面影を感じ取ることが出来る。
  江戸から9番目(約36km)の一里塚で、よくここまで歩いてきたものだと一人悦に入った。
  一里塚から少し進み、右に曲がるとまた下り坂になる。ここからが品濃坂である。謡曲「鉢の木」の話をもとにした、江戸時代の川柳に「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」と詠まれたところである。
銘木・古木「シラカシ」
  街道の左手は果樹園で、右手に横浜市指定の銘木古木の「シラカシ」がある。シラカシは、ブナ科の常緑高木である。見事な枝ぶりであった。
  旧街道を歩いていると、古い道標やこんな古木・銘木に良く遭遇し、嬉しくなる。これが街道歩きの醍醐味の一つである。
陸橋品濃橋
  品濃坂は、途中で横浜の環状2号線の切り通しがあり寸断されている。旧東海道はここで一旦切断され、環状2号線の上に架かる歩行者専用の陸橋品濃橋を渡るようなっている。橋の左袂には記念碑が建てられている。
  この橋を渡って、左の階段を下りると、また旧街道の品濃坂となる。実はここで、道に自信が無く、ジョギングしている人や、歩いている地元の人に道を尋ねたが、旧東海道を知らないと言われた。
JR東戸塚駅前
  陸橋を渡り、さらに品濃坂を下り、平になった所がJR横須賀線の東戸塚駅の入口となっている。
  ここで旧東海道を離れ、東戸塚駅に向かい、電車で帰宅した。冬の日暮れは早いので、暗くなってからの街道歩きは流石に敬遠した。
  なお、東戸塚駅は昭和50年(1975年)に開業された新しい駅で、駅の周りは巨大な団地(ニュータウン)となっている。



ルート
 
保土ヶ谷宿京方見附
〜樹源寺〜権太坂〜投込み塚
〜境木地蔵尊〜焼餅坂
〜谷宿坂〜品濃一里塚〜品濃坂
東戸塚駅

歩行距離 5.9km


休憩所・トイレ

なし


名 物

牡丹餅
立場屋、現在は無い


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0411/0503
Hitosh


歩行略図

保土ヶ谷宿京方見附〜権太坂〜品濃坂〜東戸塚
歩行 青線部
( 5.9km )






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