悠々人の日本写真紀行

旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(17)

国府津〜9小田原
Hanamizuhashi − Ooiso

国府津駅付近
  JR東海道線の国府津駅の前、約50mの所に旧東海道がある。
  その信号を右に折れ、少し歩くと右手に親鸞上人が命名したという真樂(しんらく)寺、左手に親鸞上人が7年間、庵を結んだ跡である御勘(おすすめ)堂碑がある。
  さらに少し進むと、右手に富士山がくっきりと見えた。森戸川親木橋付近である。  
小八幡一里塚
  親木橋を渡って、少し行くと小八幡一里塚跡があるはずと思って、きょろきょろして歩いたが解らなかった。そして発見したのが「一里塚」のバス停であった。
  江戸より19番目の一里塚のあったところで、天保年間の相模風土記によると、東海道を挟んで左右1対で、高さ2間、幅六七間とある。そして塚の上には松の木があったと記されている。  
元川辺本陣
  
酒匂3丁目の街道に面して、こんな粋な黒塀の立派な門構えの旧家があった。
  看板を見ると、社会福祉法人ゆりかご園(児童養護施設)とある。後で調べてみると、何とこの家は元川辺本陣であった。
明神ヶ岳と冨士
  手前の山は箱根外輪山の明神ヶ岳である。共に登山した事があるので無性に懐かしかった。
  酒匂(さかわ)川に架かる酒匂橋の上より撮影したものである。
酒匂川
  酒匂川に架かる酒匂橋(381m)を渡ると、いよいよ小田原宿入りである。なお江戸時代は夏場(3月から9月)は橋が架かって無く、徒歩(かち)渡しであった。10月から2月は仮橋が架けられていた。
  写真は酒匂橋より河口側を見た写真である。前方の橋は西湘バイパスである。
  かつての渡し場は酒匂橋の袂にあったが、対岸(小田原側)はこの橋より約100m上流の八幡神社のあたりにあった。
山王神社
  山王川を渡ると直ぐ右手に山王神社がある。ここの狛犬は、目と口、耳、そして足下の蹴鞠に朱が入り見事であった。星月夜の社、山王神社と境内に表示してあった。
  神社の由緒によると、明応4年(1495年)、北条早雲が、当時の小田原城主の大森藤頼を破り、城を手中に納めた頃は、この神社は海辺にあった。しかし高波で崩壊したため、慶長18年(1613年)に、ここに移されたとある。
  神社が海辺にあったとき、星月夜ノ井戸があり星月夜の社と呼ばれていた。その後、井戸もここに移されたという。
小田原城江戸見付跡
  山王神社の先、宗福寺の左隣の新宿公民館前に江戸口見付跡があった。
  写真の辺り(浜町)が小田原城の総構えの最東端で、城下町の東(江戸側)の出入り口であった。
  また、ここが江戸より丁度20里にあたり、やや海よりの場所に一里塚が設けられていた。
小田原宿旧家
  街道に面した旧家である。現在は浜町となっているが、この辺はかつて新宿と呼ばれたところだ。交差点の名前にかろうじて「新宿交差点」の名が残されている。
    この新宿の交差点で左折したところの、蹴上(けあ)げ坂が旧東海道である。坂を登ると、多数の蒲鉾屋がある静かな通りに出る。  
唐人町
  この辺一帯は唐人町と呼ばれていた。唐人町碑が建っている。小田原北条時代、中国人(明国)が遭難して、小田原に漂着した。
  その中の40余人が許されて、この地に居住したので、当初唐人村と呼ばれていた。地名としては今は無いが、先ほどの新宿と同様交差点名としては残されている。
  戦国時代に、北条氏は彼らを厚遇し、対明貿易を行っていたというから、東国の当時としては進んでいた。
松原神社
  浜町の旧東海道を歩き、青物町交差点を過ぎた辺りから先が、かつての小田原宿の中心地であった。小田原宿は本陣4、脇本陣4、そして旅籠はなんと95軒もあったところだ。
  丁度この松原神社の前辺りである。松原神社は北条氏綱の時、海中より出現した金剛十一面観音像を祀ったのが始まりとされ、北条氏の庇護も厚かった。
  現在でも4月に行われる祭礼は小田原市内で最も盛大のものとなっている。
小田原宿なりわい交流館
  小田原宿の中心部で、鍵の手と呼ばれ、東海道が直角に右折しているところに、なりわい交流館がある。
  元は、住吉屋吉衛門と呼ばれた江戸時代の旅籠である。その後、大正時代はブリ漁などに使われる魚網の問屋として栄えていた。
  この辺は、海(御幸ノ浜)からの恵み(干物、鰹節、蒲鉾、はんぺん等)を活用したなりわい(生業)が盛んな場所であった。
  現在は、そのなりわいの紹介や観光案内、お休み処として利用されている。
小田原城住吉橋・銅門
  小田原に来て、城を見ないのも変であるので、少し寄り道した。往時の様に、馬出門土橋(現在のめがね橋)より城内に入った。
  そして住吉橋を渡り、銅(あかがね)門を潜った。門の大扉に銅の飾りが多量に用いられていたことから銅門と呼ばれた。
  銅門そして、常磐木(ときわぎ)門を潜り天守閣まで行って見た。広大な城郭で、疲れを覚えるほどであった。
天守閣 
  小田原城は箱根外輪山の山麓の台地の上に築かれたものである。土肥一族の小早川氏による築城が起源で、その後、大森氏、北条氏が居城とした。
  特に北条氏末期には、城下を総延長10kmにも及ぶ掘りと土塁で囲み、難攻不落を誇っていた。
  江戸時代は大久保氏の居城として幕末を迎えている。現在の天守は昭和35年に復元されたもの。
  城内にグランドの他、動物園まであるのには驚いた。
箱根口
  東海道の箱根口の交差点である。いよいよこれからは箱根路に入るところだ。
  この写真の手前右手にあるのが、ういろう本舗である。500年の伝統を誇る日本最古の薬屋である。
  元から亡命した陳廷祐の中国での官名が礼部員外郎(ういろう)であったことから、ういろうと名乗り、薬を製造販売したのが始まりとのこと。
居神神社
  JR東海道線のガードを潜り、直ぐ左手にあるのが大久寺で、小田原城主大久保氏の代々の墓のあるところである。
  そして街道を挟んで反対側にあるのが居神(いがみ)神社である。その左隣の光円寺の角が小田原宿の上方見付け(出口)のあったところである。
  いよいよ小田原宿ともお別れで、天下の険、箱根路となる。



ルート
 
JR国府津駅
〜小八幡一里塚〜酒匂川
〜小田原宿〜小田原城跡
〜箱根口〜居神神社


歩行距離 9.33km


休憩所・トイレ

小田原宿なりわい交流館
小田原城跡公園


名 物

かまぼこ
蒸しかまぼこ江戸時代に小田原で考案されたもの
創業100年を越える店が多くある
(鈴廣、山上蒲鉾、いせかね、山一、杉兼他)

梅干

北条氏の時よりの名物
(美濃屋、ちん理う本店、田中屋本店他)


 

大磯宿〜国府津 目次 小田原〜三枚橋〜箱根湯本

0411/0506
Hitosh


歩行略図

国府津〜小田原宿
歩行 青線部
( 9.33km )






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