悠々人の日本写真紀行

旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(9)

生麦〜3神奈川宿
Namamugi - Kanagawa syuku


メ モ

木 戸
宿場の外れの両端に設けられた
普通は門戸が立ち、番所があった

江戸側を東木戸、京都側を西木戸と呼んでいたが
宿場により呼び方はまちまちであった

その他では、江戸側を江戸方見附、江戸口門
京都側を上方見附、京口門と呼ばれていた

遍照院、京浜急行踏み切り(子安通り)
  生麦から、しばらくは第一京浜国道(国道15号)歩きとなる。
  国道沿いの新子安駅の手前にあるのが、この高野山真言宗の遍照寺である。お寺の境内が、何と京浜急行の線路で分断されている。
  この前を通り、入江川に架かる入江橋を渡ると、程なく旧神奈川宿に入る。
  京浜急行の神奈川新町駅付近が、神奈川宿の入口付近(東口木戸)であったようだ。駅前の神奈川通り東公園に、神奈川宿の「長延寺土居跡」の碑が建っている。なお、この長延寺は、開港時オランダ領事館とされた所である。
仲木戸歴史の道
  第一京浜国道をさらに進むと右手に良泉寺がある。ここは、開港時、屋根をわざと壊し、修理中と言う事で外国公館の役を免れた寺として知られている。
  神奈川宿にある寺の殆どが、開港時外国公館とされた中での幕府に対する反骨精神は見上げたものである。
  京浜急行の仲木戸駅前からの道が歴史街道として整備されている。道沿いに右手に金蔵院、そして左手には熊野神社がある。もともとは寺の境内の中にあったが、明治の神仏分離策で分割されたものだ。
熊野神社
  ここの狛犬一対は巨大である。嘉永年間(1848〜1854年)、鶴見村石工飯島吉六の作とある。
  さらに進み左手の神奈川地区センターに高札場が復元されている。
  そして右手にはアメリカの宣教師で医師であったヘボン博士や宣教師ブラウンの宿舎となった成仏寺があり、その背後には浦島伝説で知られた慶雲寺がある。
  慶雲寺の山門前には、亀の背の上に「竜宮伝来浦島観世音浦島寺」と書かれた立派な碑がある。なお慶雲寺はフランス領事館となった所である。   
神奈川宿、宮前商店街
  すぐ側の滝野川の小さな土橋を渡るとイギリス領事館となった浄瀧(じょうりゅう)寺がある。
  この橋の手前には神奈川本陣、橋を渡った所には青木本陣があった所である。
  一度、第一京浜国道に戻り、すぐ右手に入る細い道が神奈川宿の青木町宮前(みやまえ)商店街である。
州崎大神
  宮前商店街の中央右手に、源頼朝の創建と伝えられている州崎大神(おおかみ)がある。
  建久2年(1191年)安房国一ノ宮の安房神社の霊を移して祀ったとのこと。江戸名所図会にも州崎明神として紹介されている。
  この神社前から現在の第一京浜国道への参道(現宮前商店街)の先が、船着場であった。特に横浜が開港してからは、横浜と神奈川宿を結ぶ渡船場として賑わった所である。
甚行寺、元フランス公使館跡
  州崎大神の隣の普門(ふもん)寺はイギリス士官の官舎、その先の甚行(じんぎょう)寺はフランス公使館となった所。高台(高島台)にある本覚寺はアメリカ領事館となった。
  しかし、横浜港が整備されるにつれ、ここでは不便になり、1862年オランダが横浜に移転したのを契機に、その他の国も横浜に移転した。
  そして、この歴史を誇った神奈川宿も急速に衰えてしまったとのこと。今は静かな住宅とマンションのある町となっている。  
青木橋より東海道線
  宮前の商店街を抜け、第2京浜国道(国道1号線)に入ると、目の前にあるのが陸橋の青木橋である。下を走っているのは東海道線と横須賀線である。右手の駅舎は京浜急行の東神奈川駅である。
  今まで、ほぼ旧東海道と平行に走っていた京浜急行ともここでお別れである。これからは、文字通り東海道線沿いの道となる。
  また今まで、見え隠れしていた第一京浜国道(国道15線)ともお別れで、これからは国道1号線(東海道)沿いの旧街道歩きとなる。
大綱金刀比羅神社
   青木橋を渡り、第二京浜国道(国道1号線)を横切って、狭い道(旧東海道)の坂を少し登った所にあるのが、大綱金刀比羅(おおつなこんぴら)神社である。この神社の手前に一里塚があった。
  ここが、神奈川台(だい)の入口で、すぐ下が景勝地として知られていた神奈川湊である。
  勿論、今は当時の面影は全く無く、かつての景勝地神奈川湊はすべて埋め立てられ、横浜駅周辺の繁華街となっている。
神奈川台
  神奈川区台町は、神奈川宿からの坂道で、かつては神奈川台と呼ばれていた所である。
  写真右手の割烹料亭田中家が、安藤広重の東海道五十三次の「神奈川宿台之景」に描かれた2階建て旅籠「さくら屋」(現田中屋の前身)のあったところだ。
  この裏手が、神奈川湊(みなと)で、かつてはこの旧東海道沿いは、茶店が軒を成していたところである。ここより遠くに見えた砂州が横浜と呼ばれ、今の関内(横浜港)となった。
神奈川台関門跡
  神奈川台の一番高い所に、神奈川台関門があった。横浜開港後、外国人の保護のために東の鶴見関門と共に設けられたものである。
  今では「神奈川台関門跡」、「袖ヶ浦見晴所」の碑があるのみである。付近は静かな高級住宅とマンション街となっている。
陸橋・上台橋
  旧東海道の下に道路が走っている。現東海道(国道1号線)と横浜駅を結んでいる広い道だ。
  その道を跨いで架かっている橋が上台橋である。下の道路とは違い、車も殆ど通らない細い道(旧東海道)となっている。
  橋の袂には、神奈川台、神奈川宿についての説明板があり、かつての賑わいを偲ばせている。この辺りが、神奈川宿のはずれであったとのこと。
  ここから旧東海道は下り坂となり、保土ヶ谷宿方面へ向かっている。  



ルート
 
生麦〜遍照院〜仲木戸歴史の道
〜熊野神社〜神奈川宿
〜青木街・宮前商店街
〜州崎大神〜大綱金刀比羅神社
〜神奈川台〜関門跡
上台橋

歩行距離 5.3km



休憩所・トイレ

横浜市神奈川地区センター
市営施設、所縁の本を集めた図書コーナー
神奈川宿復元模型もある

名 物

亀の甲せんべい
浦島伝説に因んだもの
亀の形をした瓦せんべい
州崎大神の横の「若菜屋」が元祖・現廃業
宮前商店街「浦志摩」では今も販売


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0411/0502
Hitosh


歩行略図
(青線部)

生麦〜神奈川台上台橋
(5.32km)







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