悠々人の日本写真紀行

旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(8)

鶴見川橋〜生麦
Turumigawahasi〜Namamugi

鶴見橋関門旧跡
  鶴見川に架かる橋、鶴見川橋を渡ると、直ぐ左に関門旧跡がある。
  安政6年(1859年)横浜開港当時、その警備のため、鶴見橋の袂と、神奈川台に関門が設けられた。関門は、橋際に往還幅四間(約7m)の幅で、杉材の角柱を立て、柿渋が塗られていた。柿渋というのは、渋柿から採った液体で、防水防腐用に当時利用されていた。
  また、文久2年(1862年)の生麦事件後、幕府は攘夷派浪士の取り締まりのため、川崎宿と保土ヶ谷宿の間に20ヶ所の見張り番所を設置した。ここには、5番番所が設けられていた。  
寺尾稲荷道
  さらに道の反対側の鶴見図書館の前には、寺尾、小杉分岐点道標と馬上安全寺尾稲荷道道標がある。是より25丁と記されている。
  寺尾城址(横浜市鶴見区馬場、信州の豪族諏訪氏が1436年頃築城、1569年武田氏により落城)の西山麓に寺尾稲荷が祀られている。現在は地名が馬場になったことから、馬場稲荷と呼ばれているが、古くは寺尾稲荷と呼ばれていた。
  江戸時代には馬術上達がかなえられる稲荷として有名になり、江戸からの参詣者も多かったという。
鶴見神社
  鶴見駅の近くには鶴見神社がある。この神社の左前に梅干で有名であった「しがらき茶屋跡」がある。鶴見神社はもとの杉山大明神で、1400年前の推古天皇の時の創建という。
  六国史の一つ、続日本後紀(承和7年、833年)には、武蔵国都築(つづき)郡杉山の社として記されているから古い。横浜・川崎の間では最古の社とのこと。大正9年に鶴見神社と改称されている。
  旧東海道は、鶴見駅前を通り、再び第一京浜国道と交わるが、そのまま横断し、生麦の魚河岸通りに入る。
JR国道駅
  魚河岸通りに入ると、JR鶴見線の国道駅の前に出る。鶴見線は、全長わずか9.7kmの都会の中のローカル線と言った感じである。第一京浜国道と旧東海道の間に、そのものずばりの駅名である国道(こくどう)駅が出来ている。
  鶴見線は鶴見駅と埋立地の臨海工業地帯を結ぶ線で、大正13年貨物専用として開業(1924年)した。その後、昭和5年(1930年)に旅客輸送も開始し現在に到っている線である。  
生麦魚河岸通り
   鶴見線のガードを潜ると生麦(なまむぎ)である。旧東海道は生麦魚河岸(うおがし)通りと呼ばれている。
  生麦は鶴見川の河口に広がる漁村で、幕府に魚を献上する御菜八ヶ村の一つとして、また間の宿としてにぎわっていた所である。
  海から採れたばかりの魚介類を売っていたが、今でも、80軒ほどの店が魚河岸通りに並んでいる。
道念稲荷神社
   魚河岸通りの中央右手にあるのがこの道念稲荷社である。道念稲荷社に数百年前から伝わる「蛇も蚊も祭り」は、横浜市の無形民俗文化財に指定されている。
  生麦が農漁村であったころの雨乞い祈願の行事で、悪疫を追い出し豊漁も祈ったものだ。
  蔦で作った20mもの大蛇を担ぎ、「蛇も蚊も出たけ 日和(ひより)の雨け 出たけ 出たけ」と大声に唱えながら、町内を練り歩くとか。毎年6月第1日曜日に行われている。
生麦事件の碑
  文久2年(1862年)、薩摩藩主の父・島津久光の行列が生麦村を通行中、4人の外国人が馬に乗ったまま行列を横切ろうとし、警護の薩摩藩士に殺傷された事件である。その内の一人、英国商人リチャードソンはまもなく絶命した。
  この事件に対し、イギリスは幕府に10万ポンド、薩摩藩に2万5千ポンドと犯人逮捕を要求したが、薩摩藩は応ぜず、薩英戦争に発展した。
  魚河岸通りの手前右側の事件発生の場所に、案内板と生麦参考館が出来ている。
第一京浜国道
  魚河岸通り(旧東海道)と第一京浜国道が再び交わる所である。背後の大きなビルはキリンビールの横浜工場である。
  明治18年(1885年)に横浜山手にキリンビールの前身ジャパン・ブルワリー社が設立された。明治21年(1888年)に、ジャパン・ブルワリー社と明治屋とが国内一手販売契約を結び「キリンビール」として発売された。
  なお麒麟麦酒株式会社として設立されたのは明治40年(1907年)になってからである。
キリンビアビレッジ
  横浜は日本のビール発祥の地でもある。その横浜山手工場が関東大震災で全壊した後、ここ横浜生麦に移転し現在に到っている。
  この工場内にある洒落たレストラン群(キリン横浜ビアビレッジ)は絞りたての生ビールとビールに合う旨い料理が自慢で、良く利用したことがある。
  今回も、立ち寄ってのどを潤そうとしたが生憎の休館日であった。諦めて、京浜急行の新子安駅まで歩き電車で帰宅した。



ルート
 
鶴見川橋〜鶴見橋関門
〜寺尾稲荷道〜鶴見神社
〜国道駅〜魚河岸通り
〜道念稲荷社〜生麦事件碑
〜キリンビアビレッジ

歩行距離 3.32km



休憩所・トイレ

キリン横浜ビアビレッジ(参考)
魚河岸通りと第一京浜国道合流点(生麦)にトイレ


名 物

ビール
キリン横浜ビアビレッジ

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歩行略図
(青線部)

鶴見川橋〜生麦
(3.32km)






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