悠々人の日本写真紀行

旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(7)


川崎宿〜鶴見川橋
Kawasaki〜Trumikawa Hasi

メ モ

神代神楽

神代神楽は、岩戸神楽とか里神楽とも呼ばれている
主に、古事記や日本書紀の神話などをもとに演じる仮面黙劇である

大太鼓、大拍子、笛、鉦等のお囃子と
役割に応じた面(鬼、老人、姫)をつけて演じられる


間の宿立場
立場(たてば)は、宿と宿との間の休憩所
鶴見は立場として賑わっていた

間の宿(あいのしゅく)は、宿と宿の間に設けらた旅人用の休憩の宿
但し宿泊は禁止されていた

芭蕉句碑(川崎市川崎区)
  川崎宿の京入口を抜け、八丁畷(はっちょうなわて)の一本道を500mほど行くと、右手にこの芭蕉句碑がある。すぐ背後を走っている電車は京浜急行である。
  元禄7年(1694年)5月、芭蕉は少年次郎兵衛を連れて郷里の伊賀(三重県)への旅に出た。当時としては老人である51歳の時である。
  江戸深川の庵を発ち、品川宿、川崎宿を経ても名残は尽きず、門弟にここまで見送ってもらっている。
  その時の惜別の句が
  「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」である。
八丁畷駅(川崎市川崎区)
  奥の細道の同行者であった曽良は、体力の衰えた芭蕉を心配し、この時、箱根の関所までも見送っている。
  昔の旅は普通でさえ、危険が多く、命がけであった。況して、年老いた芭蕉や門人には、長の別れの想いがあったのであろう。実際に、芭蕉はこの年の10月、大阪で時世の句
  「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
を残し51歳の生涯を閉じている。
  なお、この石碑は文政13年(1830年)俳人一種が建立したものである。  
人骨供養碑
  この芭蕉句碑の目の前にある駅が京浜急行の八丁畷駅である。この踏切を渡り、すぐ左側に八丁畷の人骨供養碑がある。
  この付近で江戸時代から沢山の人骨が発見され、戦後になっても道路工事などで度々掘り出された。東京大学で鑑定したところ、江戸時代のものと判明。
  当時の川崎宿で、震災や火災、洪水の災害で亡くなった身元不明の人を、川崎宿の外れのこの辺にまとめて埋めたものであろうとのこと。これらの人々の霊を供養するために、ここに慰霊塔が建てられている。  
熊野神社
  なお、川崎宿から隣の市場(いちば)まの区間八丁(約870m)を畷(なわて)と言い、道が田畑の中をまっすぐに伸びていたので、この地を八丁畷と呼ぶ様になったとのこと。
  八丁畷の駅の踏み切りを抜けると、川崎市から横浜市の鶴見区に変わる。
  鶴見区の市場東中町にあるのが熊野神社である。歩き通しで疲れたので、この境内を借りて休憩した。
  この神社は、他の神社と違い、不思議なほど、樹木が何も無い。広い境内ががらんとした感じである。    
市場銀座商店街
  熊野神社は弘仁年間(810〜824年)、紀州熊野の別当尊敬の勧請と伝えられている。この神社の宮司家に伝承された神代神楽(じんだいかぐら)は、「市場神代神楽」として知られていた。
  元禄3年の神楽に関する古文書が残されているので、それよりも古くから行われていた様だ。この神楽は、今は熊野神社では無く、同じ鶴見区の矢向にある日枝神社に受け継がれているとのこと。
  左は熊野神社の鳥居越しに市場銀座商店街を見た写真である。この鳥居と京浜急行線「鶴見市場駅」との間に広がっている商店街だ。   
市場一里塚
  この付近はかつては海辺で、魚介類、塩の収穫も多く、天文年間(1532〜1555)には魚介の市が開かれており、いつか村名も市場(いちば)と呼ばれるようになったという。
  左の写真は日本橋より5つ目の一里塚(20km)である。街道の両側に5間四方(9m四方)の塚を築造し、塚の上には榎(えのき)が植えられていた。
  ここの一里塚は現在左側のみが残されている。昭和初期までは榎の大木が繁茂していたとのこと。  
鶴見川橋
  横浜市では最初の一里塚となり、「武州橘樹(たちばな)郡市場村一里塚」の碑が建立されている。一里塚の背後の赤い鳥居は稲荷社のものだ。
  一里塚を過ぎると、400mで鶴見川に着く。アーチ状のモダンな橋は「鶴見川橋」で全長119.6mである。
  江戸時代は、ここに「鶴見橋」が架かっていたが、「鶴見橋」の呼称は、下流の第一京浜国道の方に取られてしまった。  
鶴見川
  鶴見川は多摩丘陵を源流とする全長42.5kmの一級河川である。この鶴見川に架かる鶴見川橋(旧鶴見橋)を渡ると、かつての鶴見村に入る。
  鶴見村は川崎宿と神奈川宿の間の立場(たてば、休憩地)として賑わっていたところである。
  鶴見村の集落は、東海道に面して続いており、旅人目当ての茶屋が多数あり、米饅頭(よねまんじゅう)が名物であったとか。



ルート
 
川崎宿京入口〜芭蕉句碑
〜八丁畷〜人骨供養碑
〜熊野神社〜市場銀座
〜市場一里塚〜鶴見川


歩行距離 1.98km


休憩・トイレ

なし


名 物

鶴見の米饅頭
鶴見駅東口 清月堂

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0410/0501
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歩行略図
(青線部)

川崎宿京入口〜鶴見川橋
(歩行距離 1.98km)






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