箱根駅伝ゴール標識 小田原より、7:42発の箱根登山バスに乗り約1時間で、芦の湖湖畔の箱根町に着いた。かつての箱根宿のあったところがバスターミナルになっている。 その駐車場の入り口に箱根駅伝のゴール標識が建っている。東京箱根間駅伝往復218kmの大学対抗駅伝で、大正9年に第一回目が開催されている。 今回の旧東海道徒歩の旅はここがスタートとなった。朝の8時50分であった。 |
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駒形神社・毘沙門天 国道1号線(現東海道)を少し下り、バス停「芦川入口」のある交差点を右に曲がると旧東海道である。箱根宿の出口にある部落で、かつての蘆川村(現芦川町)である。 芦川町の集落を出ると、箱根峠への登り道となる。その麓にあるのが箱根神社の摂社(せっしゃ)、駒形神社である。 箱根七福神の一つ毘沙門天のあるところである。実行力と勇気を与えてくれる神様である毘沙門天様に拝礼し、旧東海道の無事踏破を祈念した。 |
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芦川の石仏・石塔群 駒形神社の先の丁字路を左に入った狭い道が今回最初の坂である向坂(むこうさか)だ。いよいよ箱根峠への急登である。 その入口右手にあるのがこの石仏・石塔群である。箱根宿の住民が、巡礼成就の記念として建てたものだ。 |
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向坂 向坂は、今でも往時の石畳が残っている。ここから箱根峠の間、約500mにわたり、道幅2間(3.6m)の中央に幅1間(1.8m)の石畳が続いている。なお、石畳は坂道だけで、平坦なところや、集落の中は敷かれなかった。 畑宿から箱根宿の石畳に比べ、こちらは、歩く人が少ないせいか結構荒れた道となっている。 |
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赤石坂・富士見橋 旧東海道はここ赤石坂で現東海道(国道1号線)の下を潜っている。前方の陸橋が現東海道の富士見橋である。旧東海道が河床のような感じとなっている。 この橋の前後から釜石坂に掛けては往時の石畳と老杉が今でも残されているところだ。芦ノ湖湖畔のドンキン地区、吾妻嶽地区、そして箱根関所付近の新谷町と並んで、箱根の旧東海道に現存する江戸時代の杉並木である。 |
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風越坂 釜石坂を越えると今度は風越台への坂、風越坂である。 この石畳の坂を登り、次に急な階段を登ると、東海道名所図絵にも紹介されている風越台となる。 「左右並木老杉多し」、そして「この山道の左右みな篠竹にして、自然と繁茂せり。これを刈りて京都へ登し、煙管の羅宇(らう、竹の菅)に用う。性堅くして桂なり。箱根竹とて名産なり」と名所図会に書かれている。 |
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風越台より芦ノ湖 風越台よりの景観は見事である。芦ノ湖全体が見渡せるところである。 ここより箱根峠への最後の坂道、挟坂(はさみさか)へと入る。挟坂から箱根峠の道は、当時の浮世絵を見ると、伊豆の国を分ける標柱の他は、一面のカヤとごろごろした石しか描かれていない。荒涼とした峠であったようだ。 |
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箱根峠 旧東海道と現東海道が合流し、最後の坂を上り切ったところが箱根峠である。箱根山の古期カルデラ南端の鞍部にある峠で、旧東海道で一番標高の高いところである。 現東海道の標識には、標高846m、静岡県函南町とある。相模国に別れを告げ、いよいかつての伊豆国(静岡県)入りである。ここから三島宿までは急な坂道を下るだけとなる。 なお、現在の箱根峠は、現東海道の他、箱根湯本よりの箱根新道の終点箱根峠インターチェンジと、芦ノ湖スカイラインの入口、熱海箱根道路の基点がある交通の要となっている。 |
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箱根旧街道西坂入口 箱根峠の広い駐車上の右手に、箱根旧街道と書かれた冠木門が出来ている。この門を潜って行くと箱根西坂である。 門を潜った右手に、(社)三島市青年会議所の働きかけで建てられた箱根八里記念碑(峠の地蔵)がある。様々な様相で、様々な方向を向いて建てられた現代の峠の地蔵には、いろいろな思いが込められているとのこと。、 |
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箱根八里記念碑(峠の地蔵) それぞれの峠の地蔵には、源実朝の「箱根路を 我が越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に浪のよる見ゆ」や、橋本須賀子「おしん辛抱」、穐吉(あきよし)敏子「道は段々険しく」、向井千秋「夢に向かってもう一歩」、橋本聖子「細心大胆」等8人の女性による言葉を抱えている。 この記念碑の前を通り、これから三島宿までは箱根西坂の急坂を一気に下ることになる。 |
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ルート 箱根町〜芦川〜駒形神社 〜向坂〜赤石坂〜富士見橋 〜釜石坂〜風越坂〜風越台 〜挟坂〜箱根峠 歩行距離 1.72km |
休憩所・トイレ 箱根町バスターミナル 箱根峠駐車場 名 物 箱根竹(篠竹) |
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