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旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅(25)

下長坂〜初音ヶ原
Simonagasaka - Hatsunegahara

笹原新田
  笹原新田の一里塚を出ると、旧東海道は現東海道と交差している。この横断歩道を渡ると、箱根西坂で第一の急坂として知られた下長坂となる。別名こわめし坂と呼ばれたところだ。
  国道の先が、一段と低くなっている様子が写真でも解ると思う。
下長坂・こわめし坂
  こわめし坂に入ると、今までの石畳とは異なり、アスファルトで舗装された道となっている。写真では解りにくいが、すごい急坂で、注意しないと滑りそうな坂であった。
  このあたりの坂が余りに急で長いため、背負っていたお米が、汗と熱でこわめし(強飯、おこわ)になったことから「こわめし坂」と呼ばれるようになったとか。
こわめし坂・念仏石
  こわめし坂よりの左手(函南方面)の景色である。このあたりの斜面に「念仏石」と呼ばれる大石(縦120cm、横98cm)があったが、昭和20年の大雨で斜面が崩れ、埋められてしまった。
  平成8年に発掘を行ったが、念仏石らしい石は発見できなかったとの笹原区坂郷土研究会作成の説明板があった。
三ツ谷新田
  この辺が三ツ谷新田の発祥の地である。説明板によると、元和年間(1615−1624年)、この付近に3軒の茶屋があったので三ツ屋と呼ばれるようになった。
  元和4年、家康より任命された大久保長安が、箱根西坂に5つの新田を作った時に、この地域を転訛して三ツ谷新田としたとのこと。
  当初三つの谷間かと思っていたが違った。
松雲寺
  三ツ谷新田の松雲寺。江戸時代に開山された寺だ。付近に良い休憩所が無かった為、ここで休憩をとる大名が多かった(寺本陣)。
  明治天皇もここで休憩された由。記念碑が建っている。また、境内には明治天皇腰掛石が残されている。この石に座り霊峰冨士山を眺められたとの説明板があった。
小時雨坂
  三ツ谷新田の小時雨(こしぐれ)坂より右手冨士山方向を望んだ写真であるが、生憎雲で霞んでいて冨士は見えなかった(写真右手上部)。
  左手の山は愛鷹山(あしたかさん、1504m)である。
法禅寺旧址碑
  大時雨坂を下り、市山新田の坂小学校の裏手に、この法禅寺旧址碑がある。現在の法禅寺は題目坂の下へ移転している。
  碑によると現在の坂小の校庭と坂公民館一帯が法禅寺の跡地であった。元禄17年(1704年)開山とある。
  市山新田の謂れは、この辺が、箱根に登る時の一番目の山であったことから一の山、そして転訛して市山となったという。また山市がたったから市山という説もある。
題目坂(法華坂)
  市山新田の三島市立坂幼稚園の横(写真右手)が旧東海道である。この急坂を題目坂(法華坂)という。
  道標には「右題目坂・三島宿」とある。石碑には「七面堂」と、東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛の狂歌、
  「 あしかがの ぶしょうのたてし なにめでて しちめんどうと いふべかりける 」と刻まれている。
  原作では、「 法花寺といふてらに、あしかがぶしやうの、こんりゅうありし七めん堂あり。弥次郎兵へはるかにこれをふしおがみて 」の後に、前記の狂歌が載っている。  武将に不精を、七面堂に七面倒をかけている。   
七面堂碑
  なお、七面堂とは日蓮宗の護神七面大明神を安置する堂のことである。また膝栗毛にある法花寺は日蓮宗の妙法華寺(俗称玉沢寺)のことである。
  題目坂の途中右手にも真新しい七面堂碑がある。足利尊氏建立の七面堂を記念したもの。
  東海道名所図会には「 市の山・法華坂、ここに七面祠(ほこら)・法華題目堂あり 」と記載されているところだ。
出征馬記念碑
  題目坂を下ったところに出征馬記念碑がある。人間だけでは無く馬も出征し、恐らく人間とは違い戻ることは無かったのであろう。
  この先、右手に現在の日蓮宗法禅寺がある。この法禅寺には、足利尊氏が建立したという七面堂の前にあった灯篭が残されている。
六地蔵
  市山新田の集落の中に旧東海道に面して二組の六地蔵があった。
  共に街道の方を向いているが、街道からは植え込みがあって分かりにくいところだ。衆生(しゅじょう)の苦患(くげん)を救ってくれるという六地蔵が、蔭から旅行く人を見守っている感じである。  
臼転坂
  古い石畳が残されている臼転坂(うすころばしさか)である。
  説明板によると、牛がこの道で転がったからとか。臼を転がしたためこの名がついたとも言われている。
晋門庵・石仏群
  進行左手に晋門庵、その裏手に山神社。
  地図と説明板には普門庵とあるが、どうも理解出来ず、広辞苑を引いて見た。
  真門(しんもん)とすると、仮門(けもん)に対する真門、即ち真実の法門。浄土真宗での自力念仏の教えとすると理解出来るような気がした。境内(左手)には馬頭観音や観音坐像等多数の石造仏がある。
  裏手の山神社の祭神は大山祇命(おおやまつみのかみ)。山を司る神である。
萬霊等供養碑
  現東海道の三谷バイパスと合流するところに萬霊等供養碑がある。その背後に箱根路と彫られた大きな道標がある。
  ここからは当分、現東海道の横に並行して出来ている真新しい石畳の遊歩道を歩くことになる。
初音ヶ原・松並木
  この初音ヶ原付近では、旧街道は現東海道の上り車線部がそうであった。今はその脇に石畳で出来た立派な遊歩道がある。
  松に巻いた藁は虫寄せ用で、越冬する虫を分散させずに集め、春に除去して一網打尽にするという防虫策である。
初音ヶ原
  初音ヶ原の松並木を歩いていると見晴らしが良く気持ちが良い所である。背後にあるのは愛鷹山と雲に隠れた冨士(右手)である。
  この辺一帯は初音ヶ原遺跡があり、27,000年前(先土器時代)の土抗(どこう、地面に掘った穴)が14基も発見されたという。75mにわたって弧状に連続しており、動物捕獲用の落とし穴ではないかと推測されている。全国的に例の無い遺跡とのことである。
錦田一里塚
  初音ヶ原の中ほどに錦田一里塚がある。街道の両側にきちんと2基残されている。日本橋より28番目(112km)の一里塚である。
  錦田は、この辺がかつて錦の郷と谷田郷であったのを合成して出来た地名。
  また初音ヶ原は、頼朝が箱根権現(箱根神社)に詣でた時にここで鶯の初音を聞いたことから付けられたという。また、この辺が、箱根登山で始めての峰坂にかかる場所であったことから、初峰(はつね)とする説もある。
初音台・松並木
  見事な初音ヶ原の松並木を抜けると、愛宕坂、今井坂を下り、いよいよ三島宿である。
  途中、犬の散歩中の初老の男性と話し込んだ。箱根を越えてきたと言うと驚いていた。この辺一帯は初音台、三景台と呼ばれる新興住宅地となっているところで住民の良い散歩コースとなっている。



ルート
 

笹原一里塚〜下長坂(こわめし坂)
〜三ツ谷新田〜小時雨坂〜大時雨坂
〜市山新田〜題目坂(法華坂)
〜臼転坂〜初音ヶ原


歩行距離 4.57km


休憩所・トイレ

な し


名 物

な し


 

山中城址〜笹原新田へ戻ります 目次 三島宿へ移動します

0412/0603
Hitosh


歩行略図

笹原一里塚〜三ツ谷新田〜市山新田〜初音ヶ原
歩行 青線部
( 4.57km )







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