奥多摩
Okutamako

七ツ石山山麓より丹波川 
  奥多摩駅よりバスで奥多摩湖北側を通り、丹波(たば)川沿いの鴨沢で下車し、雲取山(2017m)へ登る途中の七ツ石山(1757m)山麓より撮影した写真(諸畑橋)である。
  奥多摩は多摩川水系上流域の総称。言うまでもなく東京都の西端部である。そして都民の水源地であり、憩いの場所でもある。私も、奥多摩と言うと、三頭山(1531m)、大岳山(1267m)、御前山(1405m)、鷹巣山(1736m)、川矩山(1364m)、御岳山(929m)、そして西端の山梨県側には大菩薩嶺(2057m)と懐かしい山を思い出す。 
小河内ダム
  この奥多摩を源流とする多摩川をテーマに、順番に紹介していきたいと思っている。今回は、その第一回めとして、奥多摩を取り上げた。
  奥多摩湖は、この小河内ダムによって堰止めされて出来た湖である。堤の高さ149m、堤の長さ353m、水道用の湖としては世界有数とのことである。この湖の底には丹波山村、小菅村、小河内村の計945戸が水没した。
  
   この奥多摩湖に流入する川は、丹波渓谷で知られた丹波川、後山川、小菅川、蜂谷川、そして、奥多摩の山々の襞である水根沢、入小沢、落沢、糖指沢等々と多彩だ。これらの水を合わせ多摩川となって、途中日原川や大丹波川等と合流して東京を西から東に横断して東京湾に流れ込んでいる。
   奥多摩を含め、多摩川は、田舎育ちの私にとっては、それこそ上京してから、手軽に自然に接することが出来る手近な場所であった。
奥多摩郷土資料館
  大学に入って始めて遊んだのが、多摩川中流の登戸(小田急線)、多摩川原橋付近でのボート遊び、そして、就職してからは、下流の下丸子地区の河川敷であった。ここで、昼休みには良く野球に興じたものだ。そして河川敷のゴルフ場(ショートコース)は、格好の練習場でもあった。車の免許を取ったのも、多摩川河川敷の教習所であった。青梅付近の河川敷は、協力工場があったため、良く通った。
  小河内ダムの東端にある、郷土資料館には、主として奥多摩湖の湖底に沈んだ旧小河内村の民族資料や山村生活用具などが展示されている。 
日原川合流点
   奥多摩駅近くの氷川(ひかわ)大橋より見下ろした写真である。左が多摩川で右が日原川である。この大橋の側の鋸(のこぎり)尾根を、大岳山に登ったあと、ここまで下って来て撮った写真である。
   この辺は元々は氷川町であったが、昭和30年(1955年)、古里(こり)村、小河内村と合併し奥多摩町となった。
   氷川は青梅街道の宿場として発展した所である。こんな事を書いていると土地名の改称は慎重にして欲しいと思うのは私だけであろうか。


ルート
 
青梅線 奥多摩駅 バス40分
鳴沢〜小河内ダム〜奥多摩郷土資料館
〜氷川〜奥多摩駅

休憩所・駐車場

鴨沢
小河内ダム
氷川町営駐車場

無料

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悠々人の日本写真紀行 Part1 全国版
Part 1
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